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2018.12.25

富士吉田滞在記|連載「いとを編む」#001 滝口伸一

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“上京したあの頃の自分にいま会えたら、

僕はこの街の可能性をなんて伝えられるだろうか”

 


「いとを編む」#001  滝口伸一 

(株)滝口建築 代表取締役 / ふじよしだ定住促進センター 代表理事


 

いとを編み、織りを重ね、ひとつの彩りをうかべてゆく。

 

はじまりは、一本のいと、一人の想い。

 

人はみな、日々の営みの中で、

 

かつてどこかで感じた空気や、叶えたい夢を紡いでは、

 

伝えたいきもちを編んでいる。

 

気づけば、いつか、

 

つよくて、しなやかな一枚の色彩を織りなしていたりもする。

 

想像すらしなかった風景が待っていたりもする。

 

気づけば、ぜんぶ、

 

一本のいとでつながっていたと知る。

 

富士山麓、山梨県富士吉田市。

 

美しい水が育む「はたおり」の地として栄えたこの街で、

 

いとを編む人たちの記録。

 


 
富士吉田にはここ数年、「ハタオリ」をキーワードに新しい風が吹いている。
 
美しい色彩の生地がつくられる機織りの現場を見学する「ヤマナシハタオリトラベル(TEXTILE FACTORY SHOP)」。街の至るところを舞台に産地の手仕事を伝える「ハタオリマチフェスティバル」。こうした動きがきっかけとなって、地域視察の大人、テキスタイル好きの人も地元の高校生も、この街の魅力を見つめ直して、ぶらり散策に出かけるなんて光景が広がっている。
 
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転機は2010年代に入ってから、古い商店や百貨店、老舗家具店などが軒を連ねる国道139号沿いを中心に、さまざまなお店や場所が生まれたことが大きい。
 
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▲「ハタオリマチフェスティバル」などさまざまな催しの拠点となっている「新世界通り」
 
例えば、かつては人が通れないほど賑やかだった旧スナック通り「新世界通り」。2015年からリノベーションプロジェクトがはじまったこの場所は、街の人みんなの力を合わせて「大掃除大会」が行われたり、無尽会が開かれたりと、いまでは昭和のにぎわいを彷彿させる街のランドマークとなっている。
 
ところにより「愛人」と書かれたピンクの看板があるくらいだから、大人の世界?と思いきや、いやいや全然。
 
「〇〇さん、この人県外から来た僕の友だちで、紹介しますね」「おお、よろしく!」なんて、年齢も地域の境界線も越えた爽やかなやりとりが飛び交っている。
 
続けて2015年に、ゲストハウス「SARUYA」がオープン。以来、富士吉田では外国人バックパッカーや県外の旅行客をよく見かけるようになった。
 
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▲富士山めがけてまっすぐ伸びる国道139号
 
こんな風にして、場が生まれ、人と人が交わり、物語が生まれてきた。
 
そんな富士吉田の変化の発端とも言える「場づくり」に携わってきたのが、「滝口建築」の滝口伸一さんだ。
 
2013年に移住者向け滞在施設「ハモニカ横丁」の改修を手がけたことを皮切りに、139号沿いにコミュニティカフェ「リトルロボット」をオープン。2015年には、地域デザインコンペティション物件改修部門で最優秀賞を受賞した東京理科大学チームと協働し、施工を担当。そうこうしていくうちに、いつの間にやら、自然といくつものプロジェクトに関わるようになり、全体を俯瞰しながら明日の富士吉田のことばかりを考えるキーマンの一人となっていった。
 
そして2017年には、建築の分野を越えて、起業や移住のサポートをする「ふじよしだ定住促進センター」の代表理事を引き継ぎ、地域のプロジェクトやランドスケープデザインを企画・監修するようにもなった。富士吉田にUターンしてきてからの日々を振り返り、滝口さんは言う。
 
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「18歳で上京した頃は、この街には何もないと思っていました。でも30歳を越えて地元に帰ってきたら、次の世代に何を残せるかは、自分たちに課されているのでは?と思い直すようになったんです。
 
上京したあの頃の自分に、いま会えたら、僕はこの街の可能性をなんて伝えられるだろうかと」
 
 
滝口さんの日々は、富士吉田を面白くするための「仕事や表現が生まれる場づくり」を巡っている。しかしいまに至るまでには、自問自答の連続だった。
 
家業を継ぐことへの葛藤、親友の他界、
20代を過ごした映像業界で対峙した現実と理想……。

 

 


“ 映画の世界に憧れて、上京を決めた17歳 ”


 
滝口さんの実家は、富士吉田市で50年以上続く工務店。三兄弟の長男である滝口さんには、当然のごとく幼い頃から、家業を継ぐだろうという期待が寄せられていた。自身も「いずれは自分が継ぐのだろうなあ」という漠然とした将来を見据えたまま、北富士工業高校の建築科に通う日々を過ごしていた。
 
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しかし、17歳の時に、その後の人生を変える大きな出来事に直面する。
 
それが映画との出会いと親友との別れだった。
 
 
「もともと映画が好きでよく観ていたんですけど、『いまを生きる(*1)』という映画にものすごく感銘を受けて。いまの境遇にとらわれず、自分の夢を駆け抜けてみたくなったんです。そして、そのことを教えてくれた『映画』そのものに向き合ってみたいと思うようになり、映画制作の世界を目指しはじめました。
 
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さらに同じ頃、親友が脳腫瘍で他界してしまって……。まだ17歳、だけど17歳。生きている限り、本当にやりたいことをやらなくちゃいけないんだと、自分の人生を考え直す大きな転機となりました。だからあの頃は、映画の世界へ飛び込むことが命題のようにも思えたんです」
 
 

こうして滝口さんは、家族や親戚の反対を押し切って、高校卒業とともに上京することを決意した。
 
(*1)原題「DEAD POETS SOCIETY」。1989年のアメリカ映画。ロビン・ウィリアムズ演じる高校教師が、伝統と規律、親の期待に縛られた生徒たちに、自らの言葉で未来への夢を語る勇気をもたらす物語
 


“ 憧れた映画制作の世界。

10年の先に待っていたのは、友だちや家族からのおかえりの声 ”


 
 

上京してからは映画の勉強をしながら、自主制作映画を撮るなんて楽しい青春もあった。専門学校を卒業した後は、アルバイトと映像制作を掛けもちする下積み時代。駆け巡る歳月に忙殺されようとも、映像に関わっていることに喜びを感じていた。次第に制作会社でプロデューサーを務めるようにもなり、ドキュメンタリーやコマーシャルの撮影で日本各地を回るようにもなり、映像に打ち込む時間だけが流れていった。
 
しかし、理想があれば、現実もある。
 
「売れる映像か、売れない映像か」という天秤にかけられ、本意に反する映像をつくらざるを得ないことも少なくなかった。順風満帆にも思えた現実とは相反して、時を経るほどに、17歳の時に憧れた映画の世界から遠ざかっていることを、滝口さんは黙視できなくなっていく。そして、その違和感を拭いきれなくなっていった。
 
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「自分が映像を通して伝えたかったことって、本当にこれだったのか?と悩みました。同時に、工務店の長男としていずれは家業を継がなければならないというプレッシャーも、ないとは言えなかったんです。本当は自分が生まれ育った富士吉田でやるべきことがあるんじゃないのか?という気持ちが、いつもどこかにありました。だから、その想いと映像制作の忙しさに、消耗してしまったのかもしれないですね」
 
 

憧れていた映画の世界と消費さえてゆく映像。混沌とした迷いを置き去りにして過ぎ去っていく現実……。立ち止まらずにはいられなくなってしまった滝口さんは、体調を崩してしまう。
 
 

「約10年の映像業界にいったん終止符を打って、地元へ戻ることになりました。映画の世界に憧れて、この街には何もないと思い富士吉田を離れたから、うしろめたさみたいなものはありました。
 
だけどここで待っていたのは、かつてと変わらぬ友だちと家族からのおかえりの声だったんです。すごく助けられましたね。それで考え直したんです。これからは何もないと言うのなら、『自分が暮らす街を、自分なりに面白くしてみたらどうだ?』と」
 
 
30歳を超えて帰郷した滝口さんは、いまだからこそ自分にできることは?と問い直した。その先にあった答えは、富士吉田で50年以上続く家業の仕事と真摯に向き合うことだった。
 
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“ 新しい仕事や表現に挑戦できる富士吉田にしよう ”


 
帰郷してからは、富士吉田で1972年から続く滝口工務店の仕事を学び直して、2010年には「滝口建築」と名称を新たに会社を設立した。その後は前述の通り、滞在施設「ハモニカ横丁」やゲストハウス「SARUYA」の改修を手がけたことにはじまり、数々の場づくりに携わるようになっていった。それらの過程を経ていく中で、滝口さんはある思いを募らせていく。
 
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▲現代町家づくりのオープンハウス兼オフィスで仕事をする滝口さん
 
 
「店舗の改修や家づくりを経験したら、建物を完成させて終わりではないということがよくわかるようになりました。場所をつくっていくのは、そこで営まれる仕事や人と重ねていく時間だったんです。ともすると僕が考えなくちゃいけないことは、建築設計だけでなく、“この街にどうやって仕事や経済を生み出していくか”ということだと思ったんです。
 
『やりたいことを空間に込める』、『空間があるからやりたいことの想像が膨らむ』。両方のアプローチから、この街で夢を叶える人のサポートや、叶えるための仕組みづくりができないかと考えるようになりました」
 
 
建築という分野に舞台が変わろうとも、映像業界で培ってきたプロデューサーの気質が、滝口さんを奮い立たせていたのかもしれない。むしろ、日本各地を見て回ったり映像にメッセージを込めたりと、映像業界で培ってきた知見が、いまの暮らしづくりのインスピレーションの源となっていった。そして考えれば考えるほど命題は増えていき、2017年には起業や移住のサポートをする「ふじよしだ定住促進センター」の代表理事を引き継ぐことに。滝口さんの中にはずっと、新しい仕事や表現に挑戦できる富士吉田にしようという芯がある。
 
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「もともと富士吉田は、『職人の気概と文化』が世代を越えて脈々と受け継がれてきた街。富士山があり、自然の恩恵を受けた機屋の技術と伝統があり、美を追求する人たちがいる。そんな歴史を顧みたら、時代に挑戦する若者や大人がやってみたいことに打ち込める街にできたらいいなと思うんです」
 
 
もしかしたら、未来の地方に、過去と同じにぎわいはもう戻らないのかもしれない。だけど、時代の流れとともに、新しい技術や価値観が育まれたら、いまだかつて見たことのない風景に出会えるはず。ならば過去を取り戻そうとするのではなく、次の世代が現実の壁とぶつかりながらも、新しい道を切り拓いていくさまを、僕たちはただ信じてみたらいい。そういう懐の深さが、滝口さんの場づくりにはある。
 
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▲旧製氷工場をリノベーションした複合施設。手前の建物の1F-2Fに保育園、3Fにはオフィスがある。奥のスペースは、2019年にギャラリーボックスやレジデンスとして開くことを検討している
 
 

「東京理科大学チームと協働し、滝口建築が施工をした旧製氷工場は、保育園とオフィスになりました。今後はここを、ギャラリーやコミュニティスペースとして開いて、表現の輪を広げていこうと考えているんです。大変だけど、色々やりたいことが増えてしまって、どうしよう(笑)」

 
 
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少年のようにそう話す滝口さん。自問自答の連続があったからこそ、富士吉田で暮らす「いま」を広い視野で見つめ直せたのかもしれない。富士吉田を面白くするための「仕事や表現が生まれる場づくり」を巡る滝口さんの日々は、これからも続いていく。
 


 
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1976年生まれ。山梨県富士吉田市出身。
北富士工業高校の建築科在学中、映画「いまを生きる」に感銘を受け、映画制作に夢を抱く。卒業後に、専門学校を経て映像業界へ。約10年にわたり、ドキュメンタリーやCMのプロデュースを続けた末、実家の工務店業に携わるようになり、2010年に「(株)滝口建築」を設立。

 
その後は移住者向け滞在施設「ハモニカ横丁」の改修に始まり、コミュニティカフェ「リトルロボット」の開業を経て、2015年に東京理科大学チームと協働し、旧製氷工場のリノベーション施工を担当。旧スナック通り「新世界通り」やゲストハウス「SARUYA」の改修にも携わり、地域のプロジェクトやランドスケープデザインを企画・監修するようになる。2017年から「ふじよしだ定住促進センター」代表理事に就任。
 
富士吉田市で1972年から続く工務店の技術を礎に、土地探しから、新築住宅・別荘の設計施工、店舗改修、地域のランドスケープデザインなどを手がけている。
 
 
TEXT , EDIT and PHOTO |Takashi Kobayashi(general.PR)