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2017.2.1

山梨滞在記「ハタオリマチのこと」

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はじめまして。

どこからか巡り巡って、この記事に辿り着いてくださったこと感謝します。

電車の中。食後のテーブルの横。静かな夜、眠りにつく前。
どこかで読んでくださっているあなたへ。

(いつの日か、どこかで、お会いできることを楽しみしています)

 

さて、僕は、長野県長野市「シンカイ」の小林隆史と申します。

この場所に拠点をもち、「general.PR」という屋号のもと、

執筆・制作・企画を軸に、“ 書くこと、つくること、伝えること ” に携わっています。

 

 

 

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2016年11月12日、13日山梨県富士吉田市「ハタオリマチフェスティバル」。

僕は、この「ハタフェス」の会場設営の依頼を受けて、生まれて初めて(!)
富士吉田市を訪れることとなりました。
さらには、このページに「富士吉田に感じたことを書いてほしい」と、
SARUYA赤松智志くんからありがたい機会を
頂き、こうして今、読んでくれている誰かを想像しながら、
手紙を書くような気持ちで、ゆっくりと書き綴っています。

それでは、どうぞお付き合いください。

 


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山梨滞在記「 ハタオリマチのこと 」

 

「 織り重なる時間 」

 

text:小林隆史


 

見知らぬまちの裏路地…

 

神社で遊ぶ子どもの声…

 

夜の静けさ…

 

このまちに感じたこと

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まず、「織」というこのひと文字。

僕は、このひと文字がとっても大好きになりました。

それは、富士吉田のまちの人たちが、まさしくそんな人たちだったからです。

 

「織」

芯のある「糸」が繋がり合い、このまちの「音」に耳を傾けて

枝木に支柱を添えている。

そんな風にして、富士吉田の人たちは

このまちに在る本当にいいと思うことを

本当に好きなところを

大切にしている人たちでした。


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《 人が動く、ということ 》

 

開催日の前日、2Tトラックいっぱいに、テントや椅子、看板を積み、
旅に出るような気持ちで約3時間のドライブ。

 

到着したのは、夕暮れの少し前。

 

僕は、ハタフェスの3つの会場のうち、
小室浅間神社の設営のために、この場所へやってきました。


出迎えてくれたのは、「SARUYA」の赤松智志くん。


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実は、彼と会うのは2回目くらい。小学生以来の旧友と会うくらいの握手を交わす(なんだか、昔からの友だちみたい)

 

早速準備に取り掛かる。

気概のいい二人の市役所職員の方も、颯爽と加勢してくれました。

(一緒につくったことが嬉しくて、僕は密かに親近感を抱いていたのでした)

無事に設営を完了。

この日から4日間「ハモニカ横丁」を住居に、僕は家路に着きました。

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待っていてくれたのは、ハタフェスの運営メンバー。
クタクタになってしまっていた僕は、少しだけ仮眠をとって、鍋を囲むテーブルに戻りました(あたたかい時間を本当にありがとうございました!)

 

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小室浅間神社で開催された「よしだのまちの道具市」

 

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「新世界通り」という一風変わった名前の呑み屋ストリート。今ではお店のほとんどが閉まっているけれど、昔の面影を残すこの狭い道を子どもたちが駆け回っていた

 

翌日は、まちをぶらぶら。


すると、

昨日、設営を手伝ってくれたあの二人の市役所職員さんをいたるところで見かけました。


スーツを脱いで、とかく、まちの人たちと一緒に汗を流している。

演奏会の受付、会場案内、片付け・・・。

 

きっと表立っては、人の目には触れないだろうけれど、

颯爽と裏方を担っている二人の姿がそこにはありました。

誰に賞賛されるでもなく、頑張っている二人の姿。

僕は、それがとても美しいものだと感激しました。

(心の中で「フレーフレー」と)

 

僕が本当に富士吉田を好きになってしまった理由は、まさしく彼らの姿にあります。

 

さらには、彼らのように、市の職員さん、機織工場の社長さんや従業員さん、商店の人たち、神社の人たち、
みんながいっしょくたになって、
このハタフェスを応援している空気を感じました。

ちょっとした仕草や声のトーン、そうした類のものに、
このまちのあたたかさがありました。

 

ハタフェスの運営リーダーを担った赤松くんが、一日目の交流会で、話したことば。

これはとてもすてきなものでした。ご紹介します。

「こんな若者を先頭に、ハタオリマチフェスティバルをやらせてもらったこと。
これ自体がこのまちの可能性だと思います」

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みんなそれぞれ、家庭があって、仕事があって。

大人になれば、プライドもあるでしょうけれど、
若い人も、年配の方も、どんな類の職業の人も、みんなが一緒に若者の背中を押してくれている。

 

人がひとり動くってことは、そう簡単なことではないはずです。

 

それでも、これはこのまちの気質なのか、
とても清々しい笑顔がそばにあった2日間でした。

 

《 このまちの先輩と若い人たち 》

 


かっこつけるのではなく、恰好をつける。
僕はそういう大人たちに憧れてきました。


このまちの先輩たちの「ちょっとした仕草や声のトーン、そうした類のもの」に

恰好のよさを感じたのでした。


富士吉田市役所職員の中に、勝俣美香さんという一人の女性がいます。

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勝俣美香さん(写真提供:「BEEK」土屋誠さん)

 

勝俣さんが「BEEK」土屋誠さんの「LOOM」という
機織り工場を特集したフリーマガジンに感動し、

 

富士吉田に潜在する本当の魅力を
地元の人、県外の人にきちんと伝えていきたいと思ったことから、

 

ハタフェスの企画が立ち上がりました。

 

勝俣さんは、富士吉田市の職員として、教育、税務、生涯スポーツ、そして観光と
多岐にわたる分野を経験されてきた方。

観光を担当することになった2016年。

 

自分に何ができるだろうか、と誠実に向き合った結果、

 

「BEEK」の土屋さん、「装いの庭」の藤枝さん、「SARUYA」の赤松くんを先頭に
ハタフェスを企画することを決め、行政サイドの協力を一手に煽ってくれたそうです。

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左から、藤枝さん、土屋さん、赤松くん。ナイスガイズ(写真提供:「BEEK」土屋誠さん)

 

行政の人だから、
会社員だから、
フリーランスだから、

 

そういうことではなくて、
ひとりの自分として何ができるだろうかと考え抜いた先の今。

 

こういう姿を勝俣さんには感じることができて、
大人の恰好のよさを教えてもらった気がします。

 

若い人がいない


最近、よく聞くようになったこのセリフ。

でも、大切なのは、潜在する若い人たちにどんな風景を残せるだろうかということ。

 

子どもたちは、きっと
このまちで無邪気に遊んだあの日のことを、
いつまでも覚えているのだから。

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一朝一夕にあらずな積み重ねをしている恰好のいい大人が、
ちゃんとこのまちにはいます。

 

僕も歳を重ねて、いつの日か、
気概のいい若者の背中を押してあげられるような人でありたい、
と密かに人生の目標にしているのでした。

 

《 このまちに織り重ねられていく時間 》


きっと、ハタフェスを通じて、
たくさんのキャッチボールと練習を繰り返してきた富士吉田市のみなさん。
行政、企業、個人が、ここのフィールドにおいては、
みんなが同じ方向へ向かっています。

 

この機会がきっかけで、県外の人がこのまちを知ることはもちろん、
それ以上にまちの人たちが想いを分かち合うということがとても大切なんだと思います。
そのために、ハタフェスがあってもいいのではないかと思うくらいに。

 

今回、僕が滞在した「ハモニカ横丁」は、
山梨で何かしてみたい人、
移住したいと考えている人、
僕みたいに微力ながらでもなにか協力する人などが、
仮暮らしできるように活用されていくそうです。


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ハモニカ横丁前のこの路地裏はなんだかいい。水を飲むだけに立ち寄る人たちもいた

 

ここを運営するのが「富士吉田みんなの貯金箱財団」。

スタッフの渡辺麗さんはこのまちに生まれ、このまちで育ってきました。

 

「大学卒業後、富士吉田ではなく、県外に就職する友人や若い人が多いです。
けれど、いずれはこのまちのいいところを発見してもらい、
帰ってきてもらいたい。

 

そのために、私たちは
このまちで暮らすこと、働くことの
架け橋となりたいです」

 

そう力強く話してくれました。


渡辺さんにとっては、唯一無二のこのまちが、

自らの志をはっきりさせてくれたのかもしれません。

 


対東京に対する「地方」ではなく、

どこに暮らして、どういう人生を選ぶのか。

 

色々な人たちがひとつの糸となり、重なり合う無数の色彩が、
このまちにひとつの風景を織っていく。語り継いでいく。

 

何気ない風景が特別に思えたのは、

きっとすてきな人たちがそばにいたからなのでした。

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